「でもデルは幸運だった、どんなに辛くてももう終わらせることが出来たのだから」

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実家で鍋を食べた。わたしはガトーショコラの試作品を渡した。お母さんは「美味しい!」と絶賛して食べてくれて、とても嬉しかったんだ~。

お母さんはここ1年くらい、大体いつも優しくて安心させてくれるから、わたしは大体いつも安心して不安定になる。面倒を見なくていい母親が実在するってことに驚いてるのもあるけど、それ以上に驚いてるのは、たぶん母親と個として大人として対等に付き合えていることだ~。
お母さんとまともに話ができるというのはとても快適なことであるはずなのに、わたしはそのときいつも感情が酷くうわついてる。まるでじぶんがじぶんでないような、良いことも悪いことも調子に乗って理由付けて話し過ぎてしまうのだ! 普段からは想像出来ないほど酷くうるさく喋る。わたしは認められることが嬉しくて堪らないのだろうな~!? そうして帰宅途中にいつも後悔して惨めになるのに~!!

わたしのこの合理主義は合理的ではないとおもいます!
合理的に考えなければいけないと考えて感情を抑圧することが果たしてじぶんを合理的に楽にしてやれているのかと聞かれれば頷きがたい。わたしはいつも答えと理由と解釈がほしいのだなあ。
そうして疑問を拭い去れば新しい壁の染みを探して気にせずにはいられない。わたしはいつも安心していたいからいつも悩んで考えていたいのだなあ。特に最たる不幸に対する解決策や対応策を。だから思わぬ幸せへの対応をいつも見逃しがちなのだ。顔が強ばる。背筋が凍る。声が出なくなる。不幸以上に幸福が恐ろしい。いつか無くなるものだから。幸福は裏切るけど不幸はとても正直に正しく殴ってくるから対処がどうにか出来る。楽しいことは安心させるのにふわついていて不安定だから怖いのだ。嘘が上手い人と話しているみたいで。わたしはとても愚かだ!!

お母さんは泣くわたしの頭を撫でてくれた。お母さんは最近酷く痩せた。ナナフシみたいなんだ~。手足が細くて小さくて。お母さんが座っているのをふと見ると泣きそうになるんだよ。大人なのに小さい、お母さんなのに小さいんだ。痩せた子供みたいなんだ。
お肉をたくさん食べて欲しいとおもう。少し太って欲しい。お菓子も食べて欲しい。お母さんに何か美味しいもの食べさせたい。身内内での揉め事は全てお母さんが担っているから、少しでも楽にさせてあげたいんだよ。わたしが言うのも変だけどね。早く稼ぎを良くして、現金は受け取らないだろうから、お母さんにご飯を食べさせてあげたい。美味しいものたくさん。

娘ってのはお母さんが幸せそうに笑ってると嬉しいんだ。どうしようもねえんだよ、こればっかりは~。母親ってものがそうであるように子供も同じ。嬉しいんだよ。お母さんが幸せになることが。お母さんと幸せになれることが。お母さんの幸せそうな顔を見てること以上の幸せは、いまのわたしにはたぶんない。

お母さんの手はカサカサしているけど、手のひらはふかふかで、いつもわたしが知るお母さんの手だ。あと何回頭を撫でてくれるだろうなあ。また泣きそうだ。もう泣いてるけど。

お母さんと別れるときはいつも笑顔がよいのだ。「ありがとう」と言えればもう上出来だろう。
お母さんより先に死ぬという親不孝だけは犯してたまるかと言う何クソ根性だけがわたしを生かしている。


『母さん
あなたは僕を生んだこと後悔してませんか
後悔してないのなら嬉しいです

母さん 母さん 母さん』