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5月25日、二十二錠

特に需要が無いと分かりつつ、もし知りたいひとがいればそのひとのために、自分のために書いておこうと思う。これは去年の出来事で、当時のわたしの記憶も朧気で定かではないけど、当時書き記してた日記からの情報と、僅かながら残ってる記憶を手探りに書いていく。

 

この記事はメンタル要素がめちゃめちゃ含まれてるので、苦手な方は気を付けておくれね。

 

わたしが精神科薬を服用し始めたのは確か14歳と1ヶ月になった頃、精神科病棟に入院したばかりのことだった。一番最初にかかった主治医は割と良心的で、当時その界隈ではまだ幼く思春期であるわたしに薬物療法を使うことをあまり良しとしていなかった。

当時の主治医から処方されていたのはせいぜい頓服のデパス1錠、頓服のレンドルミン1錠、マイスリー1錠くらいだったもので、特に危険性は高くなく大人になった今では依存性もあまり無いものだったように思うけど、やっぱりまだ成長途中のわたしには効果絶大だったように思う。

1日3錠までと決められているデパスを飲み切ってしまうと辛くて辛くて仕方なかったし、どうしても飲みたくて発狂しそうになりながら看護婦に訴えたことがあったけど、それはまあ置いとく。関係無いので。

 

主治医はわたしの体を考慮してあまり薬を出したがらなかったけれど、入院生活にも慣れて、ずっと部屋にこもって看護婦とも話さずずっと俯いて黙って心を頑なにしていた時期を通り越し、そこそこ話が出来る友達も出来て、安定期を迎えたわたしが時々感情を爆発させて泣きじゃくったり叫んだり暴れたりすると、筋肉注射を投与するようになった。

それに比例してそれまでの量じゃ効かなくなっていったので、薬量も自然と増えていった。仕方なかったと言えどこれが大きかったのではないのかなと思う。

 

なんやかんやあってわたしは通院時間や主治医との相性の関係で何度か転院したりしたが、その病院で18歳ギリギリまで入退院を繰り返した。

ややこしい話になって申し訳ないけどこの転院先の病院というものが誠に厄介であった。

とりあえず薬を出しとけばいい、みたいな思考の爺先生と、とりあえず薬が欲しい、眠りたいと思っているわたし。「死にたい」と言えば薬が次から次へと追加されるような病院だった。それでも最悪なパターンで需要と供給は成り立っていた。

17歳時点で1日総計20錠近い安定剤と、プラス頓服が処方されていたので、当時わたしが1日に飲んでいた薬は優に25錠を超えていた。

それも、PZCソラナックスデパスリスパダールニトラゼパムハルシオン等の、とにかくダウナー系の、衝動、行動を抑制させるものが多く、また、当時高校生だったわたしはこの処方されていた薬を律儀に服用していた為、見事なまでに薬中になり、学校は愚か友達とさえ遊べず、一日中暗い部屋で泣きながら薬を飲んでPCを見て薬を飲んで自傷をして薬を飲んで眠る、みたいな地獄のような生活を送っていた。

 

関係無いけれど精神科薬、特に眠剤を飲んだ状態ではかえって感覚が鈍り、自傷、例えばリストカットアームカットの傷も深くなる。わたしは1度PZCをODした時に縫う手前くらいまでの深さまで切ったことがあるので、皆も気をつけような。

いっそ(あ、今日やばい)と思ったらODとか眠剤飲む前にさっさと自傷してしまうのも手だと思うよ。止めようがないからね。

ちなみに何故この時縫わずにすんだかというと、傷と傷の間隔が狭くて縫うとなったら上 片方の傷の肉が引っ張られて開き、血が止まらずてんやわんやになると判断されたからだよ。

打っててあまりに痛そう(物理)な表現だけど許してね。

 

こうして女子高生時代は精神科薬とODと自傷に溺れて終わるだけの日々だった。

端的にいうと14歳から18歳までの4年間で、薬中にするには充分すぎる薬を処方されていたという話。

勿論その間何度もODをしたけれど、幸いして大事にはならず、一晩二晩眠りこければ元通りとは言わずとも何とかなっていた。

 

長くなったけどここまでが大前提。

ここからは本題、去年、19歳のわたしが精神科薬に関してまだまだ無知だと感じさせられた体験をしたことを書いていくよ。

 

過去のわたしの日記の記述によれば、5月25日の深夜、恐らく0時から2時の間だと思う。

当時は一番初めに入院していた病院に通っていた。

どうも苛立ち、不満が溜まり、やるせなくなって、それを爆発させたわたしは、処方されていた抗鬱剤向精神薬と言われている、デジレル、アーデンと言う薬を、合計22錠服用した。どちらを何錠かまでは覚えてないし記述が無いので不明。ただ、合計22錠飲んだことは覚えているし、記述があるし、確かな筈。

 

知ってたけどデジレルとアーデンは糖衣錠ではないことをしみじみ感じさせる味をしていた。ざらざらと口の中に流し込んだ薬の、苦味と無味が混ざった味に吐きそうになったけれど、頑張って22錠を2回ほどに分けて飲み下した。

その後、OD経験者なら分かると思うけど、悲しくて虚しくて死にたくてぼーっと泣いていた。10分ほど経ってから酒を飲もうと思って立ち上がろうとして、体の異変に気付いた。

 

動悸が止まらない。過呼吸とかそういうレベルじゃない。別に緊張状態じゃないのに心臓が飛び出しそうなほど鳴ってる。息が詰まるような感覚。天井がぐるぐるする。起き上がれない。動けない。表情が強ばる。

 

おかしなことだけど(やばい、死ぬ、苦しい、こんな苦しい死に方は無理)と思い、息絶え絶えに母親に報告。同じく元OD患者の母親(精神疾患大先輩)はすぐわたしの異常性を察知し、救急車を呼んだ。

恐らくわたしのOD史上初の救急車だ。無動、無表情、無言、無返答のわたしは隊員に抱えられ何とかアパートの階段を降り、救急車に乗った。よく分からないけど呼吸数が25で最大心拍数が130だったと当時のわたしは日記に記してる。

3件の病院にお断りされた瞬間(神は居ねえ)と悟りました。(でもOD患者は厄介なので受け入れたくない気持ちも受け入れられる体勢が無いことも分かる)

 

結局大学病院に搬送され、その間何度か隊員のひとに「ゆっくり呼吸してみようかね〜」と優しく言われたけど、それが出来たらそうしとるんじゃ!!!と思っていた。病院について応急措置を受けることになったのだけれど、「胃洗浄と活性炭飲むのどっちがいいかね……?」と看護師さんに申し訳なさそうに聞かれたけど、今思うと何だその針山がいいか蒸し風呂がいいかみたいな質問は。

結局(一応)意識がある状態での胃洗浄は酷く苦しいとのことで、母親の判断のもと活性炭を飲むことにした。

 

この活性炭がクソ不味い。不味いというか飲めたものじゃない。名の通り炭だからざらざらしてるし喉越しも最悪である。味はクエン酸と申し訳程度にぶどう味を出した感じだっただろうか。

ハロウィンに監獄レストランでノリで頼んだらビーカーで出てきたのでテンション上がって一口飲んでみたけど、一瞬で「あっ、もういいや」ってなるような味と見た目だった。

 

ビニールに入ったそれを飲み干せと言われた時は何の苦行かと思ったけど頑張って飲んだ。全部吐いた。

「吐くなら吐くでいい(薬が出るから結局胃洗浄してるようなもんなので)」と看護婦さんが背中をさすってくれた。容器の中に黒黒とした自分の嘔吐物と薬物があらかた出てるのを見て何だか酷く虚しい気持ちになったのを覚えてる。

 

その後は家に帰り、眠ろうとしたが寝付ける筈も無かった。

今度は酷い腹痛に苛まれた。下痢とか便秘とかそういう痛みじゃない。お腹の中に何か大きい岩に近い石が入って、酷く張ってるようなかんじだ。ごろごろした感じとぱんぱんになった感じ。伝わりにくいかもしれないけどとにかく痛い。平静を保てないレベル、動けないレベルで痛い。

続いて追い討ちをかけるように高熱。38度以上の熱が出た。マジで生まれて初めて自分から「救急車呼んで!!!」って言いたくなる痛みだった。(2日続けて救急車呼んだら大事になるので呼ばなかった)

 

急いで緊急外来で大きな病院に診て貰うと、軽い診察と触診のあと、のらりくらりと「まあ恐らく〜〜その〜〜大量服薬の影響でしょうね」とのようなことを医師に言われた。そんなことは分かってんだよ。

簡単な薬を出され、釈然としない気持ちと物凄い腹痛と気怠い体を引きずって帰宅した。

 

それでもやはり心配なので朝になってから行きつけの内科に走った。

診察と血液検査と触診の結果、発症から恐らく半日後、此処でようやくわたしは悪性症候群と診断された。

 

我が身に降り掛かったことなのにお恥ずかしいことだがわたしも簡単にしか分かってないけど、悪性症候群向精神薬抗鬱剤(本を読んでたら極めて稀に安定剤でもあるみたいだけど)の多量服薬や急な増量、減量、断薬により起こる重篤な副作用で、発見が遅れたり放置したり重症であった場合、死に至るケースもあるらしい(原因としては腎不全、呼吸不全、循環不全)。

症状としてはわたしが経験した、無動、無表情、無返答(と言うかどう喋ればいいかが分からない)、腹痛、発熱等がある。

 

大体は入院して集中的に治すらしいが(大体ICUがある病院で何日か治療するらしい)、わたしが断固としてそれを拒否した(入院施設がある、一番最初に入院していた精神科に再び入院したくなかった)ため、精神科薬全抜きとその病院に毎日通い点滴を受けることが条件となった。

 

毎日点滴よりも精神科薬全抜きと言う響きは何よりもわたしの精神を陥落させた。薬をほぼかっさらうように母親に奪われ、喚くわたしに「そのままだと死ぬよ」と吐き捨てる母親(悪性症候群を発症後に発症原因となった薬、そうでなくても精神科薬を飲み続けるとほんとに死ぬか命に関わるかします)に、わたしは「死んでもいいもん!!」と言ったけれど、「お母さんが困る」と泣きそうな顔で言われ、不承不承薬を渡した。

 

点滴期間は1ヶ月、全抜き期間はその倍。

精神科薬の離脱症状には気が狂いそうになった。不眠、動悸から始まり、アカシジア、立ちくらみ、眩暈、過食、希死念慮、日々何のために生きてるのか分からないくらい、最初の1週間は離脱症状が酷くなる前に、と布団に潜り込んでずーっとぼーっと寝ていた。

 

ただその内科医の適切な処置があったお陰で1ヶ月後には何とかわたしは全快し、薬もさほど飲まずとも生活出来ている現在に至る。

 

悪性症候群を発症してから1年以上が経過したが、今、わたしは何かが可笑しい。脳のネジでも抜けたのかと感じさせられることが多すぎる。

やけに抑制的だったかと思えば攻撃的になり、自罰的かと思えば他罰的になる。感情のネジが外れたかのように可笑しくなってしまった。

悪性症候群発症直後は精神状態も回復を見せていたのだけど、通り過ぎてしまえば、発症後からあまりに失ったものが多いように思う。

 

悪性症候群の後遺症として身体的なものはあっても精神的というか、脳に関わることは無いように思うのだけど、これはもしかして悪性症候群云々というよりも、多岐に渡ったわたしのODと薬中生活により、わたし自身の脳のネジが何処か外れ、精神科薬を服薬したことがない人とは違う形の人間、脳のネジ1個ぶっ飛び

人間になってしまったのかもしれない。

 

今のところ、此処1ヶ月ほどは自傷、半年ほどは大きなODもしていない。

わたしがこれを書いたのは別に「ODやめろ!!」とか「精神科薬は危険!!!」とか言いたかったからではない。

ODの危険性、精神科薬のリスク、諸々考えた上でやり切れず挑んでいるひとは思いのほか多いことを知ってるからだ。

そうわたしも承知していると思いながらもじぶんが発症するまで悪性症候群と言う存在どころか病名すら知らなかった。つまり認識の甘さ自体はどのOD患者にも少なからずあるということ。

衝動に打ち勝てる精神を持てだとか、現状手一杯の人間に言うつもりは無いし、辛い気持ち、やりきれない気持ち、大いに分かる。

ただ、ODに対して無知、浅学ということはODのリスクを倍増させる。OD患者全員そのリスクを抱えているということは忘れないでいてほしい。

わたしは止める気も推奨する気も無い。わたしだっていつ認識の甘さどころの話じゃなくなってまたODするか分からないし。

 

それからわたしが言うまでもないとはおもうけど、知ってのとおりODした薬自体で死ねることはまずまず無い。吐瀉物が喉に詰まって、とか、太ってるひとなら無呼吸症候群になって、とかならあるだろうけど。

死ぬ気がなく、また死ねないのなら、全てにおいて何事もほどほどにしようね。

その後一番苦しむのは自分自身でしかないのだから。